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Note -待ち伏せ ティム・オブライエン-
P098
   L01
倒置表現(「私」または、作者にとって特殊表現(強調)に値する要素がある。)
娘の年齢と、その「尋ねた」内容(父親(「私」)が、「戦争で人を殺したのでは」ということ)との関係についての思いが表れていると言える。(→「ついに」)あるいは、「早くも」などの気持ちが考えられるが、正確には特定できる記述は無い。)
 ↓
   L04
「私は、困ってしまった」殺していないと言うのが適切だと判断した。
   L09
戦争で人を殺した経験「それこそが、私が、戦争の話を書き続けている理由」
自身の人生の中に重大な意味を持ち、語り伝える使命を感じているという捉え方ができる。
(L04 「いつか娘が同じ質問をしてくれたらいい」
   L08
「すっかり話してしまいたい」など
娘にも それを正しく伝えることを望んでいる。

作品中の「私」について
小説における登場人物は、一人称の登場人物でも作者として読むのは基本的には適切ではないが、この私は、作者にかなり近い設定で描かれている。しかし、文芸作品として読むならむしろ作品世界は独立させて考えるべき。

P099
   L02
「私は、彼が怖かった―というか何かが怖かった。」
 ↓
「彼」が怖かったというのは表面上の短絡的な思い込みであり、本当の恐怖は、「私」自身の持つ漠然とした「怖かった」という感覚に過ぎなかったと今では認識している。
(P100 実態として「彼」についての描写には、恐怖を覚えさせるような要素は無い。)
(彼は、それを一方的に象徴さられたに過ぎないことが表現されている。)
   L06
小隊…隊の規模による分類のひとつ(大隊 中隊 小隊・・・)
   L15
靄[モヤ]…霧より少し通しのよい程度

P100
   L01
「どっちがどっちかどっちかさえわからなかった」
→情景の暗さや靄、また周囲の薮の見分け難さ、更に「私」の目が目覚めきっていないことなどによる状況の不明瞭さや意識の不確かさが、示唆されている。
 ↕
武器や、武器の準備された様子が伴うべき緊迫感や深刻さ(その無さ)
生活習慣や感覚を私的に持った生身個人の描写を武器などの周辺状況の切迫感との対照により、戦争の現実を印象づけている。
(L03 「ピンはまっすぐになっていた。」なども同様。)
   L09
「若者」が現れたときの様子
「ゴムのサンダルを履いて・・・歩いていた・・・くつろいでいるように見えた。・・・銃口は、下にむけられて・・・急ぐ様子もなく・・・道の真ん中を歩いていた。・・・」
(後に「私」が感じている恐怖に結びつくようなものはほとんどなく、普通の若者以上の特徴は強調されていない。
   L13
「私」は、感覚が異常な状態になるほどに、緊張し圧迫されている
「音は全く聞こえなかった。音を聞いた記憶はまったくない。・・・彼は・・・朝霧の一部・・・イマジネーションの一部であるみたい・・・」
緊張に追い詰められ、感覚に以上をきたしている。)
   →L15 胃だけが現実感を持っているように感じている。
                              (P101 L09 も同様)

P101
   L01
「条件反射的に」
「手榴弾のピンを抜いて、・・・腰を浮かした」
主体的な意識による行動でないことが読み取れる。
「私」「彼」を殺すに至った背景    
「人を殺すこと」を説明できるような合理的な理由は、何一つなく、漠然とした恐怖に突き動かされたに過ぎない。
(L14 恐怖に突き動かされるばかりで、攻撃する対象である「彼」はひとつの抽象性を負わされただけの存在だった。)
   L14
「人を殺すということについてとくに考えなかった。」
そこには合理性や積極的判断が介在していないことが説明されている。
   L16
「この手榴弾は、・・・あいつを消し去ってくれるのだ」

P102
   L03
「さあ投げるんだと自分に言いきかせる前に、私はもう投げてしまっていた。」
(人が死ぬ、人を殺すということに直接結びつく深刻な行為にも関わらず、明確な意識もなく、行っている。)

P100~P102で、作家が表現していることから読みとれる人間の側面や戦争のあり方を象徴している観点。

 戦場の様子や、現場にいる人間は、すべて現実であり、一見抽象的にも捉えられがちな兵士も、生身の感触や、生活感を伴った(読者と血の通った)個人であるということ
 また、戦場という極限的な状態においては、人間は、ほとんど主体的意識による統制が効かず、衝動や反対のようなものに突き動かされてしまうということ。
(理性や人間性が効力を失ってしまうこというと。)
P102
   L06
「一瞬停止した…」
→記憶に刻み込まれた印象深い場面。
 L5,L7 倒置表現が見られ、また、それが反復表現にもなっている。
   L13
「若者」が表れて以降初めての意識される主観的表現。。
(L10からの、死に直面しあわてる「若者」の様子から、彼が始めて生身の感触や自分との人間的なつながりをもって認められたと考えられる。)
   L14
「ぽんと爆ぜるような音…大きな音でもない…予想した音とは違っていた」
人間を殺傷する兵器のイメージとは違い、あっさりした音(その後の短い文による客観記述の連続にも、その「人の死のあっけなさ」を感じさせる意図を読み取ることができる。)
   L14
爆ぜる…はじける、破裂する

P103
   L07
「そしていつもそんな具合にことは運んだだろう。」
一般化し、「自分はいつも」「人間はいつも」
(何かに突き動かされて無用な悲劇を引き起こしている)ということを暗示しているとも考えられる。
   L13
「そんなのはどうでもいいことだった…あまりにも複雑で、あまりにも抽象的すぎるように…」
「そんなこと」→L8「カイワオ」たちの「説得」の話。
  →L14
「その若者のしたいというひとつの事実」の単純な強い具体性を目の前にしては、殺したことの正当性や背景はほとんど意味をなさなかった。

P104
   L04
「朝霧の中からその若者が現れる…わずかに猫背気味…頭は片方にかしいでいる…」
意味上それほど必要とも思えない描写が並んでいる
→単なる「兵士」や「戦死者」といった抽象ではなく、実際に存在する(した)具体的な個人としての特徴を表現しなおすことで、戦争(体験)の現実感を印象づけている。





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